気休めの音楽を流す

ふたりに夢を見つついまさらどんどん沼に沈む

誠実さと優しさとナイーブさ

KinKiコンに初めて行って、死角のない充実したコンサートに魅了されたけれど、よくよく考えると、それ以外にもとっても居心地が良かったことを思い出していた。

初めてコンサートに来た人が、どの席でも楽しめる。オープンで寛容な空気。KinKiのおふたりのリラックスした(しすぎた?)トーク。

私はかなりの小心者なので、ちょっとしたことでびくびくしちゃうんだけど、そういう気後れを感じることが本当になかった。この肩肘張らなくてもいい感じに良い意味で驚いた。

例えば、光一さんが「見えてないです、感じてます」みたいに言うのも、無駄な競争心を持ちたくない人間には有り難くて、光一さんなりの「平等な」気遣いに思えた。

あと、剛さんが20日のコンで「(開演)4時って。every.♪」みたいに取り上げて、二人でひとしきり盛り上がってくれたのも、ゆる~いけど、お客さんに対する生真面目さを感じた。

あの時に感じた居心地の良さは、KinKiの二人が持ち合わせてる誠実さと優しさが成せる技なんだと思う。

あと、ちょっとナイーブなところも、ね。それをファンの方々も分かっていて、KinKiさんを優しく包むかのような、温かな雰囲気で見守っていた…。

KinKi Kidsは、光一さんの優しさと剛さんの優しさで出来ている・・・バファリンの半分は優しさでできてる、どころじゃない。

それくらい、初のキンキコンは優しい世界だった。気弱な人間が言うんだから、間違いない・・・(笑

 

”ナイーブ“と言えば、KinKiさんが尊いのは、普通のアイドルよりも多くナイーブな面を持ち合わせているからだと思う。

Wiki→ナイーブとは、日本では「飾りけがなく素直な様」「純粋で傷つきやすい様」「単純」という意味で使われる。)

 KinKiの二人はナイーブなあまり、どちらも不器用なんだろう。

あまり昔のことは詳しく分からないけど、剛さんが大変な時期があったとなんとなく知ってる。それはKinKiというアイドルの運命のレールに対する剛さんの不器用さゆえの大変さだったんだろうけど、光一さんも彼なりの不器用さで剛さんに寄り添っていた。

そんな不器用な性格と、同じように持ち合わせている互いに対する優しさと誠実さで、二人はずっといろんなことを乗り越えてきた。そして、こうして20周年に差し掛かろうとする今も、同じステージに立って歌ったり、踊ったり、喋ったり、笑ったりしている。

でも、そんな二人で過ごした年月の濃さと重みと比べると、無重力状態かってくらいの二人の仲が変わってなくて・・その強靭な「変わらなさ」が美しくて、やっぱり尊い・・・って言葉に行き着いてしまう。

新規ファンからすると断片的な情報のため想像も含まれてるけど、二人が全く変わっていないってことだけは分かる。きっとお互いをまるごと受け入れることで二人とも根底の部分は変わらず、共生できたんだな。どちらもナイーブなところがあったから、深く傷つくところまで踏み込まないでいられる、お互いに優しい関係で。

 

器用に生きられない人間にとっても、KinKiはとても優しい存在だと気づいた。

自分のことを言うと、一時期は精神的に落ちて鬱になって、それからかなり感受性の強い人間になった自覚がある。ひたすら真っ直ぐで脆い。でも、自覚してても直せないんだな…。

でも、KinKiの二人も不器用だ。何度も言ってるけど、不器用で優しくて誠実なんだ。

剛くんの不器用で生き辛そうで、内へ内へ向かってしまうところ。でも、優しくて絶対に裏切らないで”ずっとそこにいてくれる”ような感覚は、似た傾向にある私の心を癒やしてくれる。

光一くんの不器用のあまり、そのまま壁にぶちあたってしまうところ。でも、それでも驚くほど誠実に”向き合いつづけてくれる”ような感覚は、その力強さに心がぎゅっと勇気づけられる。

だから、私はKinKiさんにハマったんだなと思った…ぐるぐる考えてたらもう早朝になってきたけど、確信した。私はKinKiの存在に励まされてる。だから、応援したいし守りたいんだ。うん。ひとまず眠ろう。起きたらオリスタ買いに行かなきゃ・・・。